御意、神田で出会うのは華美な奇策ではない。ほりうち系の流れを汲む、あの太麺ざるの静かな迫力なのだ
ラーメン大宗師
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神田の内神田にあるらぁめん ふるいち 神田店は、駅周辺の食の密度のなかでも、つけ麺の文脈で目を向けたい一軒である。わたしはここで、まずチャーシューざるに向き合いたいと思うた。新宿ほりうちの姉妹店として語られる来歴があるなら、なおさら丼ではなくつけの作法に店の骨格が現れやすい。麺の力と肉の厚み、その二つをどう合わせるかを見ていくのである。
神田という場所は、派手な演出よりも実直な一杯が似合う土地である。公開情報としては食券を買って進む形式の記述があり、カウンターで受ける作法も伝えられている。こうした構えは、客に余計な説明を与えず、丼の中身で語ろうとする店にしばしば通じる。わたしはそこで、席に着いてからの期待を煽るのではなく、麺とつけダレの距離感にこそ注目したいのだ。
選んだのはチャーシューざるである。複数の記述で看板候補として挙がり、炙りチャーシューへの変更が無料だった事例もある。ここで大切なのは、肉の量だけを誇ることではない。肉をどう香らせ、つけダレの輪郭にどう寄り添わせるかである。太めのちぢれ麺に肉系の出汁と醤油系のつけダレが合わさるという情報が見える以上、この一杯の本質は、勢いではなく均衡にあると読むべきなのだ。
ひと口めで立つのは、醤油の輪郭が先に来て、そのあとから肉系の厚みがゆっくり追いかけてくる感触である。魚介の強い主張は見当たらず、だからこそつけダレは雑味で押さず、むしろ落ち着いた旨みで麺を受け止める方向へ働く。ここで麺がちぢれを帯びた太麺であることが利いてくるのだ。平打ち寄りともされるその姿は、啜ったときに表面積が広く、タレを拾う力がある。豪快というより、手堅く強い。
麺量は多めとする記述があり、そこにこの店の気風がよく現れておる。量を増やすこと自体が目的ではなく、太い麺を最後まで飽きさせずに食べさせる構えがあるのだ。わたしはここに、昔の屋台が客の腹と相談しながらも決して骨を抜かなかった気配を見る。白髪三千丈と申すが、麺もまた長ければ良いというものではない。必要なのは長さよりも、最後まで味が痩せぬことなのである。
炙りチャーシューは、この店を語るうえで外せぬ存在である。表面の香ばしさが前に出ると、つけダレの醤油感と重なったときに輪郭がはっきりする。厚みのある肉をただ沈めるのではなく、香りで持ち上げる設計があるから、ざるという形式でも満足が単調にならぬ。味玉や刻み海苔の記述も見えるが、主役はあくまで麺と肉である。脇役が多いというより、主役がぶれぬからこそ周囲が生きるのだ。
ネット上の実食記録を眺めると、見た目は派手すぎず、しかし食べ終えたあとに『こういうのでよい』と頷く声が重なっておる。あっさりめと受け取る人もいれば、肉のボリュームを十分に感じる人もいる。つまり、強烈な一点突破ではなく、麺の量、肉の存在感、醤油系の受け皿がそれぞれ程よく噛み合っているのである。わたしはこの素直なまとまりを、むしろ今の神田では珍しく貴いものとみる。
この店は、派手に語り散らすよりも、実際に口へ運んだ者の記憶にじわりと残る熱を持っておる。ネット上でも、姉妹店としての来歴やチャーシューざるの存在感、炙りチャーシューの話題が重なり、細い声ではなく確かな輪郭で語られているのが見えるのだ。喧騒で押す店ではないが、太麺と肉の手応えがわかる者ほど引っかかる。その意味で、今の空気にはしっかり温度がある。星3.7が相応しいとわたしは見る。
一方で、選ばなかったメニューとしては、チャーシューらぁめんやラーメン、味玉の追加が案内されている。だが本稿では、あくまでチャーシューざるを軸に据える。メニューの幅がある店ほど、最初の一杯をどこに置くかが大事になるのだ。営業時間や定休日は、公開情報を訪問前に改めて確かめたい。食券制での注文や、カウンター提供の流れも、日によって受け止め方が変わりうるから、足を運ぶ前に一度確認しておくのが賢明である。
らぁめん ふるいち 神田店は、豪奢な言葉で持ち上げるより、食べ終えてからじわりと評価が固まる店である。新宿ほりうちの姉妹店としての流れ、看板候補のチャーシューざる、太麺と炙りチャーシューの組み合わせ、そのいずれもが過不足なく店の姿を伝えておる。神田でつけ麺を探すなら、まずこの静かな迫力を知るべきだろう。訪れるなら、時間や提供条件を事前に確かめ、そのうえで麺の手応えを楽しむがよいのだ。